Whoops! Lasik!~レーシック手術の落とし穴

レーシック手術を受けた経験から、レーシック手術の落とし穴を語ります。レーシック手術を考えている人は参考にしてください。

もしかしてこれって後遺症?~レーシックと白内障手術~

 どうもまにぱにです。先日からのアクセスによりもう3万アクセス超えそうです。一日のアクセスが1000に届きそうだったのもとってもびっくり!てなことで、ちゃんとしたコンテンツをお届けしようということで、レーシック手術を受けた人、白内障手術を受けた人でこれって後遺症じゃないか?という疑問を持つ方のためのチェックシートを作りました。

 その前に……

 まず、「後遺症」について説明しましょう。正直、調べるまでは、定義をあまり意識しないで使用していました…あと余談ですが、「後遺症、副作用、違い」という検索ワードで検索したところ、グーグル2ページ目にイントラレーシックの副作用というページに当たりましたよ☆

 副作用や後遺症はどの病気の手術でも話題になるのにどうしてレーシックのページがこんなに真っ先に出るんですかねぇ…みなさん検索してらっしゃるのかしら?だとしたら、潜在的レーシック手術被害者って本当に多い気がします。

 

 さて、本題に

 後遺症…ある病気・けがが治っても、そのあとにまで影響が残る症状

 

 私は、手術後いくらたっても残っている症状によって苦しんでいるわけで、今までそう記事に書いてきたわけですから、さして間違いはなかったようです。

※以下、チェックシートを示しますが、誤解してほしくないのは、項目に該当すれば即後遺症というわけではないということです。いわゆるレーシック難民というレーシック手術によって後遺症を負ったと主張する我々はこのような症状に悩んでいるということです。そして、私と同じ症状を抱えているならば、少なくともQOLの向上を目指して行われたレーシック手術の目的は達成されていないのではないか、失敗ではないのかという契機を与えようとするものです。また、レーシック難民と同様に、白内障手術においても同様の症状を訴える方が多いことから、白内障手術後の後遺症にもあてはまるのではないかと思います。それでは↓↓

  • 「日中」眩しいと感じたことはなかったのに、手術後明らかな眩しさを感じる。例:サングラスが急に必要になった、日傘なしでは歩けなくなった。
  • ドライアイではなかったのにドライアイになった。これに関しては、ドライアイになったと気づくレベルでの変化(痛みや視力低下等)があったかどうかという話です。
  • 近くの物を見るのに疲れたことがなかったが、目が異常に疲れるようになった。  例:一日中パソコン作業ができていたのに、手術後は2,3時間が限界になった
  • 物をじっと見つめることがしんどくなった。これに伴って、乗り物酔いをするようになった。
  • 「夜間」の光について手術前は気にしたことすらなかったのに、手術後光の形(ハログレア)が気になる。
  • 物が二重に見える、かすん(白んで)で見える。パッと見たときには一つに見えるが、じっと見つめると二つ以上にずれる。
  • 目の周りがつぱったり引っ張られる感覚がする(手術前はなかったのに)
  • 瞼の開閉が困難になった(左右の瞼の下がり具合が変わった等)
  • 手術後、なんら病変は見つからないのに目に痛みが出るようになった
  • 原因不明の頭痛、めまい、吐き気がする(手術前は一切なかったもの)

 

  ぱっと思いついたもので上記です。私はこういう症状を抱えているよ!という方は、コメントやツイッターでお知らせいただけたら追加しますので気軽にコンタクトよろしくお願いします。

 この表にあるのは症状であり、これらのうちいくつかは明確に数値で分かるものです。ですから、手術前と手術後のデータを比較すると容易に後遺症か判断できるものもあるということです(まぁ数値の異常がある場合にも、手術後手術とは関係のない原因で数値に変化が生じたんだ!と医師は否定したがりますけどね)。

 さて、自分が上記の表に該当しているから、もしかしてレーシック手術に失敗したんじゃないか?白内障手術に失敗したんじゃないか?と思う方に、自分が後遺症患者かすぐにわかる方法をお教えしましょう。確実とは言えませんが、なかなか正確な基準だと思いますよ。

 

手術を受けたクリニックに行ってください。以下の言葉が出たら後遺症である可能性が高いです。そんでもって治せない確率も高いと思われる。

様子を見ましょう(何度行っても)

訴える症状のすべてに「ドライアイだからです」と即答

同意書に同意しましたよね

おかしいな、何の問題もないんですけど

気分の問題だから心療内科紹介しますよ

カルテ請求に頑として応じない、法外な値段を吹っ掛けられる

 とりま、こういう言葉が出れば私の経験則上ほぼほぼ後遺症ですね。正直、レーシックの後遺症は医師も認めたがらないし、研究もしない。だから症状がすべてレーシックと因果関係がないと簡単に言える状況になっちゃってます。しかし、ネット上のちっぽけなレーシック後不具合を負った者のコミュニティーで同じような症状を抱えている人が多いこと、集団訴訟にまで発展していること、少なくとも医師から後遺症だね…といわれる方もいることから、上記に挙げた症状はレーシック後遺症である蓋然性が高いと思います。一部は海外で研究されていたり、海外でも同様の訴えが見つかっています。それに、後遺症であるか云々は置いておいたとしても、上記の症状を訴えるなら、少なくとも生活に支障が出ているわけですから、病院に行ってみたりするべきです。

 決して、手術を受けて成功したと感じている人を怖がらせたり、後遺症だと決めつけたいわけではありません。でも、我々はこういうことで苦しんでいるよっていうのを示すことによって、少しでも困っている人の症状を理解し、病院を紹介したりするきかっかけになればなと思うのです。該当しているからといって、生活スタイルを変える必要はないですからね。ただ、生活に困っていてあいまいな説明しか受けておらず、クリニックが許せないと思うのなら、ぜひ我々にコンタクトを取って、徹底的に自分の目の状態を調べるべきだと思います。上記のチェックシートがそういう方の支えになればいいなと思います。

 

 本日も最後まで読んでいただき、本当にありがとうございます。気づけばもう五月も終わりですね。五月病を吹き飛ばして夏を迎えられるようになりたいものです。 以上

なんだこれ…こわい…

 寝ていたのに猫に起こされたまにぱにです。久々にブログ書いたから、閲覧数がどれくらいか確認しようと思いました。というのも、ブログの更新がなかった1か月間も、それなりに日々閲覧数があったため不思議に思っていたからです。3月頃まではそこまで閲覧数なかったものですから。

 原因としては、グーグルの検索アルゴリズムの変更で、私のブログもきちんと表示されるようになったからかなとか、レーシック関連のクソ記事が上位に表示されなくなり、相対的に私のブログが見られるようになったとか、ツイッターのつながりが増えたので、フォロワーさんに見てもらえるようになったのかなとかかな?とか考えておりました。

 そんで、おそるおそる確認すると…今までの閲覧数最高記録の倍の閲覧数があるではないか!え?なんで?こわい…レーシッククリニックから命を狙われるんだー笑、なんて思ってたらあっさり理由がわかりました。たぶん、レーシック難民の染井さんが私の記事を引用してくださったからですね。染井さんすげぇ……

 なぜブログを書くかというと、それだけレーシック手術の現状、後遺症を負った者の現状をわかってほしかったから、この一点につきます。ですから、閲覧数が増えると本当にうれしい。もちろん、嫌がらせを受けることもありますが、それも込みです。人の目に触れるだけでいいんです。そういうことで、魅力的な記事を提供できるように研鑽していきますので、一見さんもこれからよろしくお願いしますね。

 

 いかなる理由にせよ

 

  ☆皆様、閲覧本当にありがとうございます

 

 これから、どんどんポジティブな内容の記事も増やしていきたいですし、ツイッターで知り合った様々な病気を抱える方に少しでも恩返しできるように、他の病気の周知にも力を入れたいかと思ってまいります。もちろん、医療の専門家ではないので踏み入った記事は書けませんが…。それに、閲覧数が増えたり、扱うコンテンツが増えるとさらに情報の真実性には気を付けないといけませんね。

 どこぞのヘルスケア系クソキュレーションサイトや、美容系レーシッククリニックの記事、それ関連のクソアフィサイトと同じになってしまいますから!!

 

 そうそう、これこそ今更でもうお気づきになっているかもしれませんが、私は人をののしったり、悪口を使うのを基本的に良しとしません。究極の平和主義者ですし、みんな気持ちよく人生を全うすることがモットーなので(つい最近まで死にたいといってた人間がなにいってるんだか…)。

 しかし、レーシック関連についてはその限りではありません。自分の人生がめちゃくちゃにされたのは事実だし、それだけの損害を被ってますからね。マザーテレサとかガンディーのようにそこまでできた人間ではないので。

 

 ということで、最後までお読みいただきありがとうございます。みなみなさま、どうぞどうぞこれからもよろしくお願いいたします。

今更ながら

 気が付けば一カ月以上ブログを放置していたまにぱにです。まだ五月だというのに30度になりそうな暑さが続き、四季なんてなくなったんじゃないの?と思っちゃったりします。

 さて、5月はやることが多くてとても忙しい月でした。家族や親戚にレーシック後遺症で、今まで通りの体調が維持できないことを告白し、そのうえで就活を温かく見守ってもらうことになりました。

 

今まで通りの体調維持というが、手術前はどんなのだったかかるく体調について新旧表を作ってみましょうか。

 

レーシック手術前の体調

  • 勉強漬けの毎日で、だいたい1日14時間は勉強していました。もちろんノート作成もパソコンでしていましたが、目が疲れることはあっても何の支障もなく眼精疲労なんて気になったこともなかった
  • ゲームが趣味だったため、徹夜でゲームをする日もあったが充血する以外何の支障もなかった。というのも、痛みも一切なかったから。
  • アウトドア好きなので自転車に乗りまくっていた。風をうけて充血することはあっても一時的だし、風で目が開けられないこともないし、なによりサングラスの必要性を感じたことがなかった。ただのカッコつけアイテムだとすら思っていた。
  • 頭はよくはないがそれなりに考えることができたし、なにより脳みそが100%回転している感覚があった。
  • 楽天的というかおおざっぱだったので、細かいことが気にしたりは一切なかった。

レーシック手術後の体調

  • 勉強しなかろうが、パソコンをしなかろうが、目が痛く目の周りが突っ張る感覚がある。それに、目ヤニの質?が変わり、目の中が粘つくような感覚になった。
  • 何もしなくても毎日充血。そもそも、体力的に徹夜がしんどすぎてできなくなった。
  • 朝の眩しさはおろか、コップのコーヒーに天井のライトが反射するのすら眩しく感じる。サングラスは必要なものなのだ。うん。車のミラーなどの反射では、ムスカ状態になる。昔は何ともなかったのに。
  • 頭がとにかく重い。それに伴ってかかなりふらつく。体力が低下したと考える一番の原因はこれ。しんどくて日中も眠たすぎてヤバイ。遠視眼鏡をかけても何も変わらず。ちなみに外斜位だがこれはおそらく手術前からだし、ほとんど異常がないほどのもの。
  • 神経質というか、常に光の見え方と目の痛みにとらわれて、うまく物事を考えられなくなった。単純に言うと手術前より確実にあほになった。なによりも、将来への希望とかやる気、趣味ですら楽しめなくなった。ちなみに、心療内科に二件ほど、半年以上通ったが鬱でも心身症?でもないらしい。

 ざっと、こんな感じ。言葉で書くとえらくしょぼい内容に見えることだろう。人によっては、これで何の不具合だというのか、って感じかもしれません。ですが、何の問題もない自分が手術によって、何かができなくなってしまった自分に変えられてしまったことの、心身の負担は想像を絶するものです。

 事故や病気などで後天的に障害を負った方とか、本当に大変だと思う。私と同じように、自分を受け入れられなくて困っている人もいると思うし、中には自ら命を絶った人もいるようです。人によってはそれほど体の変化って大きいものなんです。

 でも、私も難民生活3年目が経過しようとしています。なんとなく受け入れるというか、今のスペックでやることになれてきた感じもあります。もちろん辛いけどね。お金と時間の都合がつかなかったけど、5月に開かれたレーシック難民のオフ会は行きたかった。こういう悩みとか、葛藤を多くの人と共有したかった。メールやツイッターでお世話になっている人に面と向かってお礼がしたかったし、普通の趣味のオフ会のように知らない人(知ってるけどね)と会って楽しく話したかったというのもある。今度開かれたら絶対に参加しよう。うん。

 ツイッターも知っている人が増えて、いろーんな病気、また病気じゃなくても日々頑張って生活している人がこんなにも多いのかって。一日一日がやっとなんだ。でも、それでも生きてるっていいじゃないって。やっぱり、生きることって戦うことなんだなって思いましたよ。

 体調が良くなったわけでは決してない。でも、うだうだ体調気にしても良くならないし、考えることは96.5%くらい目のこと。それなら考えている間、休んでる間に体動かして働いた方がいいなって。夢を追いかけるためには背負う物や考えることが多すぎた。とりあえず、ここであきらめたら一生かなわないという夢じゃないので、いったんあきらめて、またご縁があればそれ目指して頑張りたいと思っていろいろ踏ん切りがついた。レーシック手術受けなければ今も東京で足ししく暮らしていたかも、夢をつかめていたかもと思わんでもないが、これも何かの縁か神様のいたずらだろう。ギリシャ神話とかでも神様はいたずらが好きらしいしね。

 

 大して各内容がないからいつも通りしょーもない日記になってしまいましたが最後までお読みいただきありがとうございました。近々、弁護士の先生と訴訟について話の決着がつきそうなのでまたその点ご報告したいと思います。それでは。

死を意識しながら生きる

 死を意識して生きていますか?何の問題もなく生きている人、問題があってもその対処がうまい人は、死を意識して生きることはないと思います。あるとすれば、お葬式の時とか、医師の仕事をしていて日々人の死を目の当たりにするかとかそんなところですよね。

 

 でも、こんなにも症状が辛く日常がうまくいっていないと、自然と自死すべきか悩むときがあります。生きていて意味があるのだろうか、その先に何があるのだろう。そんなこんなで結局は生きていますが、日々「死」が意識されています。ネットやツイッターを見ていると、うつ病で死を考える人へのメッセージ画像とかよくあるので、自分なりに「死」ってこんな感じで意識するというのを伝えたいと思います。

 

 皆さんは、ランナーです。一生走り続けるランナー。だって、はるか彼方に自分の望む景色が広がっているから。走り続けるのはものすごく辛い。でも、その景色目指して走る。たまには、水や食料を差し入れてくれる人がいるでしょう。楽しいしうれしいですよね。ときには、一緒に並んで走ってくれる人がいるでしょう。辛くても走ろうって気になりますよね。でも、ふとした時、視界に「黒いもの」があることに気づくんです。そう、視界の上部です。「これなにかな?」と思いつつも走ります。走ります。

 

 いつからでしょうか、視界上部の「黒いもの」があることが当たり前になってきます。でも、気づいていますか?少しずつ「黒いもの」が目の前に下がってきていませんか?これが「死」という壁、シャッターです。走り続けるには邪魔です。降りてきたシャッターをいちいちくぐって進まなきゃいけない。でも、まだ遠くにいい景色が広がっているのが見える、一緒に走ってくれる人が見える、たまに水や食料が差し入れられるから走ります。

 

 もう、シャッターをくぐる作業が当たり前になっていませんか。走り続けて、目の前に見えるのは黒いシャッターばかり。最初に見えていた景色はどこへいったのでしょう。確かに、このシャッターの向こうにあるはずなのに。なんか、くぐるのもしんどくなってきませんか?走るだけでも辛いのに。もういっそのこと、シャッターを自分で閉めて、そこで走るのをやめればいいじゃないですか。一緒に走ってくれてた人はシャッターの向こうから手を差し伸べてくれている。でもだめ、見えないんですよ。

 

 このまま、シャッターを閉めればそれは「死」です。自死。こんな感じで常に死が視界に入っているんです。あぁこれを下せば楽だな。なぜ、向こう側に走るんだろ。そう思っても頑張って走らなきゃと思う自分もいる。後者の自分が勝つから、無理やりシャッターをあげてくぐって走る。毎日これの繰り替えし。

 

 うつ病でも、病気の後遺症でもなんでもそうですが、一度死のシャッターが見えてしまった人は、一生「死」と離れることはできないんだと思います。ただ、日常が良くなって、シャッターを上げる量が減ったり、くぐるのが楽になるだけで、シャッターが上から降りてくることはもう知っちゃっている。ただ、対処の仕方がうまくなるだけ。一度も、自分の走る道にシャッターがあるなんて気づかない人は一生気づかないです。でも、一度気づいちゃうと一生一緒なんです。

 これが、死を考えたことのある人とない人の違いかなと思います。気づかないに越したことはありませんが、気づいてしまったんです。この状態で生きていくしかないですね(もちろん、上記は「例え」なので気づいた人がえらいとか、気づかない人が…とかないですよ)。

 ただ、気づいていない人は、どうして走るのがそんなに辛いの?むこうにいい景色が広がってるじゃん?って言葉を投げかけることはあるでしょうね。こうして、無理して走っている人の心にもっと負担がかかります。悪気がないけれど、自分の言葉や態度で、他人のシャッターを下ろしていることがあるんです。

 

 自分は、不幸にもレーシック手術によって後遺症を負って、考えたくもない死について日々考えざるを得ない頭になってしまいましたが、こんな状況がわかったからこそ、他人への言葉は選んで、本当の意味で共感しようと思いましたね。走るスピードも、シャッターのおり具合も人それぞれ。100%同じ気持ちを理解するという共感はあり得ない。「私にもあなたの気持ちわかるよ」なんてことは絶対ない。辛さはわからないんです。でも、分かってあげたい。すべてを受け入れるんです。それが私の考える共感ですね。

 

 自分でもこんなクサいことなんで書こうと思ったんでしょうかね。まぁ本当に現状が辛いからなんですね。本当につらい。でも何とか生きていきます。他人へのやさしさを得ることができたので、レーシック後遺症から立ち直ればきっと最強の私が出来上がっていることでしょう。そうなればもう私に欠けるところなんてなーんにもないですなハハハハ。

 はぁ、身長高くならないかな。イケメンにならないかな。年収1億にならないかな。人から尊敬されるような活動をして社会的に評価されないかな…ってな感じで実際不完全な私ですが、今後もレーシック手術自由診療の闇について語っていきたいと思っています。あ、そういえば他者への言葉は選びますが、クソレーシック医師に対しての言葉は選びませんよ。彼ら人間じゃないんで。こんなおぞましいこと絶対にいうべきじゃない。でも、あえて言います。それくらいひどいことされているんです。あいつらは人間じゃないから今すぐ消えろってね。誤解してほしくないですが「クソ」レーシック医師ですよ。レーシックを行っている医師にもいい人はいますからそういう方へのメッセージじゃないです。心当たりのあるクソレーシック医師は今すぐ私の代わりにシャッターを閉めて走るのをやめてね!☆

 

 本日に関しましては、こんな読むに堪えない愚痴記事を最後までお読みいただき、焼き土下座をしても感謝の気持ちが表せないほどです。毎度ありがとうございます。では失礼します!