Whoops! Lasik!~レーシック手術の落とし穴

レーシック手術を受けた経験から、レーシック手術の落とし穴を語ります。レーシック手術を考えている人は参考にしてください。

なんだこれ…こわい…

 寝ていたのに猫に起こされたまにぱにです。久々にブログ書いたから、閲覧数がどれくらいか確認しようと思いました。というのも、ブログの更新がなかった1か月間も、それなりに日々閲覧数があったため不思議に思っていたからです。3月頃まではそこまで閲覧数なかったものですから。

 原因としては、グーグルの検索アルゴリズムの変更で、私のブログもきちんと表示されるようになったからかなとか、レーシック関連のクソ記事が上位に表示されなくなり、相対的に私のブログが見られるようになったとか、ツイッターのつながりが増えたので、フォロワーさんに見てもらえるようになったのかなとかかな?とか考えておりました。

 そんで、おそるおそる確認すると…今までの閲覧数最高記録の倍の閲覧数があるではないか!え?なんで?こわい…レーシッククリニックから命を狙われるんだー笑、なんて思ってたらあっさり理由がわかりました。たぶん、レーシック難民の染井さんが私の記事を引用してくださったからですね。染井さんすげぇ……

 なぜブログを書くかというと、それだけレーシック手術の現状、後遺症を負った者の現状をわかってほしかったから、この一点につきます。ですから、閲覧数が増えると本当にうれしい。もちろん、嫌がらせを受けることもありますが、それも込みです。人の目に触れるだけでいいんです。そういうことで、魅力的な記事を提供できるように研鑽していきますので、一見さんもこれからよろしくお願いしますね。

 

 いかなる理由にせよ

 

  ☆皆様、閲覧本当にありがとうございます

 

 これから、どんどんポジティブな内容の記事も増やしていきたいですし、ツイッターで知り合った様々な病気を抱える方に少しでも恩返しできるように、他の病気の周知にも力を入れたいかと思ってまいります。もちろん、医療の専門家ではないので踏み入った記事は書けませんが…。それに、閲覧数が増えたり、扱うコンテンツが増えるとさらに情報の真実性には気を付けないといけませんね。

 どこぞのヘルスケア系クソキュレーションサイトや、美容系レーシッククリニックの記事、それ関連のクソアフィサイトと同じになってしまいますから!!

 

 そうそう、これこそ今更でもうお気づきになっているかもしれませんが、私は人をののしったり、悪口を使うのを基本的に良しとしません。究極の平和主義者ですし、みんな気持ちよく人生を全うすることがモットーなので(つい最近まで死にたいといってた人間がなにいってるんだか…)。

 しかし、レーシック関連についてはその限りではありません。自分の人生がめちゃくちゃにされたのは事実だし、それだけの損害を被ってますからね。マザーテレサとかガンディーのようにそこまでできた人間ではないので。

 

 ということで、最後までお読みいただきありがとうございます。みなみなさま、どうぞどうぞこれからもよろしくお願いいたします。

今更ながら

 気が付けば一カ月以上ブログを放置していたまにぱにです。まだ五月だというのに30度になりそうな暑さが続き、四季なんてなくなったんじゃないの?と思っちゃったりします。

 さて、5月はやることが多くてとても忙しい月でした。家族や親戚にレーシック後遺症で、今まで通りの体調が維持できないことを告白し、そのうえで就活を温かく見守ってもらうことになりました。

 

今まで通りの体調維持というが、手術前はどんなのだったかかるく体調について新旧表を作ってみましょうか。

 

レーシック手術前の体調

  • 勉強漬けの毎日で、だいたい1日14時間は勉強していました。もちろんノート作成もパソコンでしていましたが、目が疲れることはあっても何の支障もなく眼精疲労なんて気になったこともなかった
  • ゲームが趣味だったため、徹夜でゲームをする日もあったが充血する以外何の支障もなかった。というのも、痛みも一切なかったから。
  • アウトドア好きなので自転車に乗りまくっていた。風をうけて充血することはあっても一時的だし、風で目が開けられないこともないし、なによりサングラスの必要性を感じたことがなかった。ただのカッコつけアイテムだとすら思っていた。
  • 頭はよくはないがそれなりに考えることができたし、なにより脳みそが100%回転している感覚があった。
  • 楽天的というかおおざっぱだったので、細かいことが気にしたりは一切なかった。

レーシック手術後の体調

  • 勉強しなかろうが、パソコンをしなかろうが、目が痛く目の周りが突っ張る感覚がある。それに、目ヤニの質?が変わり、目の中が粘つくような感覚になった。
  • 何もしなくても毎日充血。そもそも、体力的に徹夜がしんどすぎてできなくなった。
  • 朝の眩しさはおろか、コップのコーヒーに天井のライトが反射するのすら眩しく感じる。サングラスは必要なものなのだ。うん。車のミラーなどの反射では、ムスカ状態になる。昔は何ともなかったのに。
  • 頭がとにかく重い。それに伴ってかかなりふらつく。体力が低下したと考える一番の原因はこれ。しんどくて日中も眠たすぎてヤバイ。遠視眼鏡をかけても何も変わらず。ちなみに外斜位だがこれはおそらく手術前からだし、ほとんど異常がないほどのもの。
  • 神経質というか、常に光の見え方と目の痛みにとらわれて、うまく物事を考えられなくなった。単純に言うと手術前より確実にあほになった。なによりも、将来への希望とかやる気、趣味ですら楽しめなくなった。ちなみに、心療内科に二件ほど、半年以上通ったが鬱でも心身症?でもないらしい。

 ざっと、こんな感じ。言葉で書くとえらくしょぼい内容に見えることだろう。人によっては、これで何の不具合だというのか、って感じかもしれません。ですが、何の問題もない自分が手術によって、何かができなくなってしまった自分に変えられてしまったことの、心身の負担は想像を絶するものです。

 事故や病気などで後天的に障害を負った方とか、本当に大変だと思う。私と同じように、自分を受け入れられなくて困っている人もいると思うし、中には自ら命を絶った人もいるようです。人によってはそれほど体の変化って大きいものなんです。

 でも、私も難民生活3年目が経過しようとしています。なんとなく受け入れるというか、今のスペックでやることになれてきた感じもあります。もちろん辛いけどね。お金と時間の都合がつかなかったけど、5月に開かれたレーシック難民のオフ会は行きたかった。こういう悩みとか、葛藤を多くの人と共有したかった。メールやツイッターでお世話になっている人に面と向かってお礼がしたかったし、普通の趣味のオフ会のように知らない人(知ってるけどね)と会って楽しく話したかったというのもある。今度開かれたら絶対に参加しよう。うん。

 ツイッターも知っている人が増えて、いろーんな病気、また病気じゃなくても日々頑張って生活している人がこんなにも多いのかって。一日一日がやっとなんだ。でも、それでも生きてるっていいじゃないって。やっぱり、生きることって戦うことなんだなって思いましたよ。

 体調が良くなったわけでは決してない。でも、うだうだ体調気にしても良くならないし、考えることは96.5%くらい目のこと。それなら考えている間、休んでる間に体動かして働いた方がいいなって。夢を追いかけるためには背負う物や考えることが多すぎた。とりあえず、ここであきらめたら一生かなわないという夢じゃないので、いったんあきらめて、またご縁があればそれ目指して頑張りたいと思っていろいろ踏ん切りがついた。レーシック手術受けなければ今も東京で足ししく暮らしていたかも、夢をつかめていたかもと思わんでもないが、これも何かの縁か神様のいたずらだろう。ギリシャ神話とかでも神様はいたずらが好きらしいしね。

 

 大して各内容がないからいつも通りしょーもない日記になってしまいましたが最後までお読みいただきありがとうございました。近々、弁護士の先生と訴訟について話の決着がつきそうなのでまたその点ご報告したいと思います。それでは。

死を意識しながら生きる

 死を意識して生きていますか?何の問題もなく生きている人、問題があってもその対処がうまい人は、死を意識して生きることはないと思います。あるとすれば、お葬式の時とか、医師の仕事をしていて日々人の死を目の当たりにするかとかそんなところですよね。

 

 でも、こんなにも症状が辛く日常がうまくいっていないと、自然と自死すべきか悩むときがあります。生きていて意味があるのだろうか、その先に何があるのだろう。そんなこんなで結局は生きていますが、日々「死」が意識されています。ネットやツイッターを見ていると、うつ病で死を考える人へのメッセージ画像とかよくあるので、自分なりに「死」ってこんな感じで意識するというのを伝えたいと思います。

 

 皆さんは、ランナーです。一生走り続けるランナー。だって、はるか彼方に自分の望む景色が広がっているから。走り続けるのはものすごく辛い。でも、その景色目指して走る。たまには、水や食料を差し入れてくれる人がいるでしょう。楽しいしうれしいですよね。ときには、一緒に並んで走ってくれる人がいるでしょう。辛くても走ろうって気になりますよね。でも、ふとした時、視界に「黒いもの」があることに気づくんです。そう、視界の上部です。「これなにかな?」と思いつつも走ります。走ります。

 

 いつからでしょうか、視界上部の「黒いもの」があることが当たり前になってきます。でも、気づいていますか?少しずつ「黒いもの」が目の前に下がってきていませんか?これが「死」という壁、シャッターです。走り続けるには邪魔です。降りてきたシャッターをいちいちくぐって進まなきゃいけない。でも、まだ遠くにいい景色が広がっているのが見える、一緒に走ってくれる人が見える、たまに水や食料が差し入れられるから走ります。

 

 もう、シャッターをくぐる作業が当たり前になっていませんか。走り続けて、目の前に見えるのは黒いシャッターばかり。最初に見えていた景色はどこへいったのでしょう。確かに、このシャッターの向こうにあるはずなのに。なんか、くぐるのもしんどくなってきませんか?走るだけでも辛いのに。もういっそのこと、シャッターを自分で閉めて、そこで走るのをやめればいいじゃないですか。一緒に走ってくれてた人はシャッターの向こうから手を差し伸べてくれている。でもだめ、見えないんですよ。

 

 このまま、シャッターを閉めればそれは「死」です。自死。こんな感じで常に死が視界に入っているんです。あぁこれを下せば楽だな。なぜ、向こう側に走るんだろ。そう思っても頑張って走らなきゃと思う自分もいる。後者の自分が勝つから、無理やりシャッターをあげてくぐって走る。毎日これの繰り替えし。

 

 うつ病でも、病気の後遺症でもなんでもそうですが、一度死のシャッターが見えてしまった人は、一生「死」と離れることはできないんだと思います。ただ、日常が良くなって、シャッターを上げる量が減ったり、くぐるのが楽になるだけで、シャッターが上から降りてくることはもう知っちゃっている。ただ、対処の仕方がうまくなるだけ。一度も、自分の走る道にシャッターがあるなんて気づかない人は一生気づかないです。でも、一度気づいちゃうと一生一緒なんです。

 これが、死を考えたことのある人とない人の違いかなと思います。気づかないに越したことはありませんが、気づいてしまったんです。この状態で生きていくしかないですね(もちろん、上記は「例え」なので気づいた人がえらいとか、気づかない人が…とかないですよ)。

 ただ、気づいていない人は、どうして走るのがそんなに辛いの?むこうにいい景色が広がってるじゃん?って言葉を投げかけることはあるでしょうね。こうして、無理して走っている人の心にもっと負担がかかります。悪気がないけれど、自分の言葉や態度で、他人のシャッターを下ろしていることがあるんです。

 

 自分は、不幸にもレーシック手術によって後遺症を負って、考えたくもない死について日々考えざるを得ない頭になってしまいましたが、こんな状況がわかったからこそ、他人への言葉は選んで、本当の意味で共感しようと思いましたね。走るスピードも、シャッターのおり具合も人それぞれ。100%同じ気持ちを理解するという共感はあり得ない。「私にもあなたの気持ちわかるよ」なんてことは絶対ない。辛さはわからないんです。でも、分かってあげたい。すべてを受け入れるんです。それが私の考える共感ですね。

 

 自分でもこんなクサいことなんで書こうと思ったんでしょうかね。まぁ本当に現状が辛いからなんですね。本当につらい。でも何とか生きていきます。他人へのやさしさを得ることができたので、レーシック後遺症から立ち直ればきっと最強の私が出来上がっていることでしょう。そうなればもう私に欠けるところなんてなーんにもないですなハハハハ。

 はぁ、身長高くならないかな。イケメンにならないかな。年収1億にならないかな。人から尊敬されるような活動をして社会的に評価されないかな…ってな感じで実際不完全な私ですが、今後もレーシック手術自由診療の闇について語っていきたいと思っています。あ、そういえば他者への言葉は選びますが、クソレーシック医師に対しての言葉は選びませんよ。彼ら人間じゃないんで。こんなおぞましいこと絶対にいうべきじゃない。でも、あえて言います。それくらいひどいことされているんです。あいつらは人間じゃないから今すぐ消えろってね。誤解してほしくないですが「クソ」レーシック医師ですよ。レーシックを行っている医師にもいい人はいますからそういう方へのメッセージじゃないです。心当たりのあるクソレーシック医師は今すぐ私の代わりにシャッターを閉めて走るのをやめてね!☆

 

 本日に関しましては、こんな読むに堪えない愚痴記事を最後までお読みいただき、焼き土下座をしても感謝の気持ちが表せないほどです。毎度ありがとうございます。では失礼します!

レーシックの事前説明と現実の乖離

 どうも、マニパニです。書くネタがなくツイッターを眺めていたら、レーシック難民ではないものの、レーシックによる副作用が気になっている方のブログを発見しました。例にもれず、やはりずさんな事前説明だったようなので取り上げます。

 こういった記事を見ることで、レーシックについて不満を述べているのはレーシック難民だけではないんだなって分かって安心します。巷では、レーシック難民は存在しないとかいうクソサイエンスライター竹内薫なる人もいますからね。この件についてはツイッター上で難民さんと多数やり取りがあったにもかかわらず、レーシック難民は「竹内薫の知る一流の病院での後遺症治療を受けなかった人、聞く耳を持たない人、とある業界からお金をもらっている人」的に書いて、レーシック難民の名誉をクソほど蹂躙したのであえて名指しします。

 それでは、以下引用した記事を紹介していきます。その前に!いきなりレーシック難民と名乗る胡散臭い私のような人物からの引用を快く許可してくださったうさぎ様に感謝申し上げます。

引用を許可してくださったうさぎ様、ありがとうございます。リンクは以下です。どんどんアクセスして、レーシック難民でない方でも不具合を抱える方がいること、ずさんな事前説明の実態があることを知ってくださいね。

www.100made.info

www.100made.info

ハロー・グレアのまぶしい現象は手術直後からあったんですが、「1年くらいで治まります」って眼科で言われてました。でも13年も続いています。

ちなみに最近、眼科で眩しさについて相談したところ、ハロー・グレアの眩しい現象は、

「1年くらいで治る」

のではなく

「1年くらいで気にならなくなる」

ということらしい。

私は13年経った今も眩しさ(ハロー・グレア)が

かなり気になりますけど!

 本当に、この通りですよ。医師の方は「1年くらいで気にならなくなる」という説明をします。でも、問題なのは、気になってしまうこと、ハログレアが残ってしまうことですよね?なら「気になるかどうかは人によること」、「ハログレアがなくならず気になっている人が存在すること」を説明してそのリスクに対して同意するというプロセスを踏む必要があります。これが、インフォームド・コンセントですよね。

 また、上記の引用について気づきましたか?手術前は「1年くらいで治る」といったにもかかわらず、手術後に検診に行くと「1年で慣れる」に代わっていますよね。こうして、最初から「慣れる」と事前説明したかのように、レーシッククリニックは説明逃れの態勢になります。

 ちなみに、ハログレアが残るとこんなことになります↓

困るのが夜間と雨の日の運転時に前方が見えにくいこと。

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※こんな感じで光が伸びて見える

雨降りの夜は本当にしんどいです。対向車のヘッドライトと街頭が水滴に反射して本当に見えにくい。反射の光が長く伸びる(通常時の5倍~10倍)感じです。

 こんな状態で、安全に車が運転できますか?ヘッドライトは一つではなく、無数ありますし、車は一台ではありません。また、街灯もたくさんありますよ。それなのに、医師は、「夜間運転することができなくなることがあります」とは絶対にいいません。まぁ、私のように昼間もハログレアが発生する人もいるのに(私以外でも多数確認済み)、「夜間」のみの注意というのもおかしいですけどね。

 ちなみに、私たちレーシック難民の記事をきちっと読んだうえで、確認事項のメモを作ったりして、レーシック手術や、白内障手術などの屈折矯正手術を受けようとすると、医師からは「細かいこと気にする患者」扱いされるみたいですよ笑

lasikganni.hatenablog.com

 ハログレアを気にすることとかが細かいことなら、レーシック医師は全員目を削ってハログレア満載の視界で一生過ごしてください。って感じ笑

 

 また、リスクはハログレアだけではありません。

36歳での老眼。

 

はえーよ、早すぎるよ!

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私は当初、メガネがうっとうしくて、

メガネ人間をやめたくてレーシック手術を受けたはず。

 

でも今は、

 

・車の運転は眩しさ防止のサングラス(レンズが黄色いやつ)が必要

 

・本や新聞を読むときは老眼鏡が必要

 

 

つまり

 

 

近視用メガネをやめたくて

 

33万円払ってレーシック手術をしたけれど、

 

逆にサングラスと老眼鏡を手放せなくなった。

 など、老眼が早く来ること、眩しさが増加することからサングラスが手放せなくなることもあげられます。ですが、レーシッククリニックは「手術後、一切視力矯正が不要になるわけではない」とか、一見わかりにくい二重否定の表現を使ったりしてごまかします。堂々と「老眼を感じる年齢が早くなり、老眼鏡による視力矯正が必要になる場合があります」「眩しさの増加により、サングラスが必要になる場合があります」ってかけよ、ボケカスレーシック医師

 この説明でも、「場合がある」よって、一定の留保をつけたうえでありうるリスクを説明していますよね。こう書いて患者がそれに同意した場合、それこそクリニックに責任追及しにくいですよね。でも、なぜか書かない。

「だまして」

「どうでもいい他人の目を削って」

「お金儲けがしたいから」

 なんです。あえて断定して書きます。なぜかって?世の中にはたくさんレーシック難民また、引用したうさぎ様のように、レーシック難民ではないが不具合を抱えている人がいて、これを医師に報告しているにもかかわらず、正しい情報を出さないからです。こういう状況があるのに情報を出さないという不作為は、もはやだましているという作為と同じですよね。

 さて、上記のうさぎ様のブログのように、レーシック難民の方でなくとも、不具合を感じる方がいることをわかっていただけましたか?私が大げさなことをいっているのではないとわかっていただけましたか?

 うさぎ様のブログのコメントで、レーシック手術を検討していたけどやめることにしたとか結構あるので本当に安心です。

 

 みなさまも、こうした現状を知って、レーシック手術って危険なものだよって認識して、できればこれをほかの人にも広めて、さらにできれば私みたいな人を理解していただけると本当にうれしいし、ブログやってて救われたと思います。毎度毎度、最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。

 

さくらが奇麗に咲いているので散らないうちにお花見を楽しんでくださいね!では!